長岡FP事務所のブログ

住宅購入のお金のこと

幸せの類型が少なすぎると借金が増える

今日のテーマは

「幸せの類型」が少なすぎるとお金に困ることになる

です。

 

地方都市で生活をしていると、時々言葉に詰まるような状況を目撃することがあります。

債務整理をしたばかりだが新築の家が欲しい」と言う公務員の男性、世帯年収370万円で高級ミニバンを全額ローンで買い今度は高級時計をローンで買う20代の夫婦、家中に服と靴が膨大にあり毎月のように買い足していく40代の女性、貯蓄が出来たことがなくローン残債を残しながら新車を替え続ける中年男性。

 

この人たちはとにかく買い物をします。欲しいものが次々と見つかってはクレジットカードやローンで買ってきます。飽きたものはフリマアプリで売却するので物欲でお金を溶かしているわけではないと言うのですが、貯蓄がほどんどないので緻密な金銭管理には縁遠いのが分かります。現実にはそれは浪費であってお金を溶かし続けているとは認めようとしません。

 

一番大きな特徴は、その買い物を繰り返す姿が決して幸せそうには見えないということです。

刹那的な一瞬の高揚感を得たり、日々の生活への不安感や所在無さを紛らわせようとしたり、あるいは所有していることを自慢したいがための買い物に見えるのです。買い物依存とも呼べるかもしれません。

 

これは意外なことに、都会よりも地方に行けば行くほど顕著になります。

地方では所有している車の価格に対して貯蓄額が極端に少ないことは珍しくありません。

都会に住む年収1200万円の会社員が持っていないようなブランド品を、地方に住む年収300万円の会社員が所有していたりします。世帯年収2000万円の夫婦が買うのを躊躇する高級車を、地方に住む世帯年収500万円の夫婦が簡単に買ってしまいます。

当然のことながらその結果は借金であり、貯蓄をするのは極めて難しくなります。

 

自分自身は浪費しているつもりはないのです。その浪費のひとつひとつに買う必要性を付け加えていくからです。「趣味だから」「地方は車社会だから」「仕事で必要だから」「気分転換に」などとどうしても買わなければならない理由を見つけてしまいます。

もちろん、屁理屈を言うと浪費というものはそもそも存在しません。「人生を豊かにするもの」「生活のうるおい」は大切です。しかしその豊かさや潤いに対して、不相応なコストがかかりすぎるのです。

 

どうして安易な借金と買い物を繰り返してしまうのでしょうか。

 

大きな理由の一つが、地方では「幸せの類型」が少なすぎるためだと考えています。

幸せの類型とは、「これが揃えば幸福である」「こうでなければ不幸である」という一種の価値基準のことです。そのバリエーションが地方都市では極端に少ないせいではないかと思うのです。

 

高級車が家の前に停まっていると幸福、持ち家があると幸福、高級なブランド服を着ていると幸福、高級時計をしていると幸福などという、何かを所有することが幸福だと思い込んでいる傾向がかなりあります。

もっと言えば、何かを所有すれば「オシャレ」だと表現するのも地方都市です。最近のInstagramもこの狭窄した価値観をさらに刺激するように、持ち物の自慢で溢れています。キャンプが趣味だとするアカウントも、結局キャンプ道具の自慢に終始しているのは珍しくありません。試しに「#vanlife」と検索してみてください。車で寝泊まりをして旅行をするライフスタイルをバンライフと呼びますが、日本人が投稿しているのは、車の改造や道具の写真ばかりです。一方、海外の人の投稿はライフスタイルそのものを表現しています。

 

所有する欲、つまり物欲が止まらないのは性格ではありません。所有しなければ幸せではないと思い込んでしまっているのです。Instagramインフルエンサー的な赤の他人に憧れ、自分も同じものを所有しないと不幸、という強迫観念かもしれません。


これを私は「田舎のヤンキー文化」と呼んでいます。

幸せの類型が一つしかなく、親世代やパイセンから無批判に受け継いだ価値観を頑なに譲らない姿は、ヤンキーそのものです。かつてヤンキーという言葉は地方に住む不良少年少女の意味でしたが、現代では価値観の類型が少ない様子を指すと思っています。

インフルエンサーに憧れている姿そのものです。

 

その価値観によって「リターン」が得られているかというと、残念ながら借金という形で失敗しています。それらの価値観は都会に住む、特定のコミュニティの高所得の人たちしかリターンを得られないものだからです。

リターンとは、例えば高級車や高級時計をして社会的なステータスを等身大で表現できるというものです。それによって、あるステータスのコミュニティの中で信用されることになります。結果的にそれがさらなる収入にもつながっていくことでしょう。

 

高級車を新車で買って、正規ディーラーで整備をし、タイヤなどの消耗品を定期的に交換でき、税金や保険を滞納せずに支払えるためには高い収入が必要です。それを余剰資金で趣味としてやれる人の真似をして、中古の高級車を買い維持費に汲々とする人を身近で見たことがあるでしょう。

地方都市で不安定な収入の会社員が不相応な価値観を追求した結果が、「貯蓄ゼロ」「借金数千万円」「子供の奨学金地獄」しまいには「債務整理・自己破産」となっていくのです。

 

コスパが悪い価値観にしがみつくのは、もう時代的にもやめたほうがいいでしょう。

 

幸福のバリエーションは数が多ければ多いほどいいはずです。自分の収入にあった幸福があり、誰かが用意した価値観・類型に自分を当てはめようとするほど不幸なことはありません。

維持費の安い軽自動車を買い、賃貸マンションに住んで、たまに家族でラーメンを食べに行くことが幸福ではないと誰も言えないはずです。子供の進学も、大卒でなければ不幸だとも誰も言えないはずです。

もっと言えば、高校を卒業後アルバイトをしながら何年間も放浪をしたり、うつなどの病気を治してから20代後半で大学に進学してもいいのです。もちろん義務教育だけで終えて働いても不幸ではありません。

子供の大学進学の費用について親は面倒を見ない、自分でやってほしいという親のポリシーも当然あっていいと思います。それを無責任と批判することは出来ません。

ファイナンシャルプランナーとして相談会をすると、99.9%の人が子供を大学に進学させたいと言います。現実を見ると、令和2年の青森県の大学等進学率(短大含む)は46.6%にすぎません。

進学させたいのは何故か?と質問すると、「いい人生にするため」としか答えられません。本音は「大卒でないと不幸だ」という誰かの価値観を鵜呑みにしているだけなのです。相談会で自分の価値観を正確に語れる人はごくわずかです。

大学には行かせなければならない、そして子供に奨学金を借りさせるのは不幸だ、という自分の経済状態には不相応な価値観に縛られ取り憑かれたように積み立てをしてさらに生活が苦しくなっている人もいます。

この価値観を持ってリターンを得られる人はいますが、自分がそれを追いかけるべきでしょうか。

 

私自身は高級時計を持っていません。興味がないしそれを所有して自分が幸福になるとは思えないからです。20代~30代は腕時計そのものを所有していませんでした。「営業マンとして時計をしていないというのは信用を失う」などと言う人もいましたが、あまりにも古い価値観に閉口したものです。お高い時計をしただけで信用する人がいるのか、話をしたくないなと思うだけでした。

今は頂き物の時計を10年ほど着けています。高級時計ではありませんが、自分にとっては記念的な時計なので大切にしているというだけです。もちろん時計を蒐集する趣味の人もいていいし否定することはありません。ただ、時計そのものではなく「高級な時計をしていないと他人からこう思われる」という他人の価値観に迎合したくないなと思っています。

 

住宅はもちろん、少額の買い物であっても、それが本当に必要なのか家族で話し合う習慣があったほうがいいと思います。

欲しい理由はなんなのか。本当に必要であり、主体的に欲しいと思っているものなのか。それともその「モノ」ではなく、「社会的な信用」や「評価」挙句の果ては「所有することでの自信」が欲しいのか。後者であればすべての買い物を一旦止めるべきです。その行く末は自己破産です。

 

モノだけではありません、最近の投資ブームも同じです。カッコいいと思われたい、知的と思われたい、という理由の人が沢山います。YouTubeなどでカッコいい人を見たせいで憧れているだけでしょう。投資をする本当の必要性がどこにも見当たりません。

 

自分以外の何者かになりたがったり、他人の価値観をなぞろうとする気持ちが自分の中で見つかったとき、絶対に買い物はしてはいけなのです。