長岡FP事務所のブログ

住宅購入のお金のこと

生命保険は必要か不要か

 

今日のテーマは

生命保険は必要か不要か

です。

 

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【注意】

この記事は、生命保険の個別の商品性を説明したり、特定の商品を推薦するものではありません。ファイナンシャルプランナーとしての主観のお話です。

 

この10年くらい、ロジカル(論理的)であるということがもてはやされるようになったと思います。

 

感情を排し、それは何故なのか?という質問に答えられない言葉は悪であるという風潮です。

これにはいい側面と悪い側面が同時に存在しています。

 

まずいい側面としては、理不尽な圧力を正すことが出来るようになったということ。特に仕事ではそうです。

 

仕事をしているとコンプライアンス違反すれすれの状況に出会うことがあります。例えば金融業界では「相手の言動や服装で反社会的勢力と類推される人物との取引はしない」という旨のルールがあります。

私も過去にそのような人物と仕事で出くわしたことがあります。

どうも反社会的勢力と思しき人物なのです。

 

当時勤務していた会社の規定により、上司を同席させて対応を決めることにしたのですが、その上司の前でもその人物は暴力的な言動を繰り返し、さらにブランデーをラッパ飲みしているのです(笑)

自称、歯科医なのですが実態はありません。偏見を排除して考えても、歯科医と信じられる条件がありません。

ネットで名前を検索するとどうもあちこちでトラブルを起こしていることも分かりました。

 

私は取引は断るべきと上司に進言しましたが、上司はこう言いました。

「歯医者っていうのはあんな変わった人もいるよ。せっかくだから我慢して付き合ってあげないと。」

 

私はその上司に質問したのです。

「外見、言動ともに明らかに反社会的勢力の特徴がありながら、社内規定に違反する取引を進める根拠は何か?歯科医であるとどういう根拠で信じるに至ったのか?」

 

上司の答えはこうでした。

「そんな固いことを言っていたら、仕事にならないだろう。営業マンなんだからそこはうまくやらないと。」

 

上司は論理的な正当性を担保できず、感情論と根性論で乗り切ろうという姿勢です。当然のことながらその仕事は断りました。個人的に県警に出向き相談したことろ、当該の人物は警察に多数の相談が寄せられているということが分かりました。警察官から「金融機関は関わってはいけない人のはずだが、何を考えているのか?」と叱責される有様でした。

上司にもその経緯を伝えましたが聞く耳を持たず、なぜか一人で取引を進めてしまい、結局は深刻なコンプライアンス違反に問われることになりました。

 

あまりにもレベルの低い話ですが、今の40代50代のおじさん世代は論理性が鍛えられていないため、いざとなると「エモい話」をしてすべてを乗り切ろうとする傾向があります。

 

一方で、論理的であることにも悪い側面があります。

 

それは「感情の話」を置き去りにしてしまうことです。

 

例えばデジタル時計とアナログ時計を見比べてみてください。デジタル時計は、0時00分から0時01分の間に時間が存在しません。表示がぱっと切り替わります。アナログ時計は時刻は数字で示されません。秒針が絶えず動いていて、だいたい0時01分30秒くらい、という感じで時刻を知ることになります。

 

この曖昧さが感情の話と似ています。

人間の感情は複雑でデータに置き換えることが出来ません。再現性もほとんどないでしょう。昨日と同じ行動はできても、昨日と全く同じ感情を持つことは出来ないはずです。

 

あまりに論理性に傾いてしまうと、感情の話をすくいとることが出来なくなります。

 

先述の上司の件は、「なんとかして契約が欲しかった」「自分の上司にいい顔がしたかった」「もっといい部署に異動したい」という感情が隠れていたはずです。あまりに論理的に考えるあまり、上司を無能だと糾弾してしまった私も少し反省があります。

 

「気持ちは分かりますよ、でも規定上ダメなものはダメです。」と言うべきでした。

 

前置きが長くなりましたが、生命保険は必要かどうかのお話です。

 

生命保険とは金融商品です。

言うまでもなく、数字だけですべてが作られています。掛け金を決めるのも数字、いざとなったら支払われる金額も数字です。すべてが論理性で成立しています。そこに曖昧さが入る隙はありません。

 

必要かどうかという議論も、論理的に考えることが出来ます。

 

もし自分が億万長者だったら、当然、死亡保険は必要ありません。遺族に遺産を残せるからです。

入院保険も同じです。貯蓄が潤沢にあれば、いざとなったときに治療費には困りません。わざわざ保険で備える必要はないのです。日本の社会保障制度には高額療養費制度もあります。医療費が高額になったら自己負担額以上はお金がかからない制度があります。

 

こう考えると、生命保険や医療保険に入らなくてもいい人はいると言えると思います。

 

私がかつて在籍した生命保険会社では、この論理性を極端に解釈してしまい、「医療保険は不要」と言わんばかりの教育がありました。

 

しかしこの論理性の反対側に、感情の問題もあります。

 

もし自分が大きな病気をしてしまい、毎月の治療費がかかり、仕事を休職しているとしたら、論理的に保険は要らないと言い切れるでしょうか。

もちろん貯蓄があるのでそこから治療費も生活費も出せるとしても、保険があったら良かったなとふと考えると思います。そして休職が長引くほど、不安感は募ります。

1000万円あった貯蓄が700万円になっただけでも、精神的に追い詰められいくはずです。

 

また死亡保険も同じです。特に老後、退職金と貯蓄があるので死亡保険は不要と考える方は多くいます。論理的には間違いはありません。遺族が生活できるだけの貯蓄があれば死亡保険は必要ありません。

しかし感情的にはどうでしょうか。

自分がもし余命宣告をされてしまったら、家族が重い病気だと分かったら、亡くなったら幾ばくかのお金が残されたらいいなと思うはずです。

損得ではなく、お金を残してあげたい、残してほしいというのは理屈ではない感情そのものなのです。

 

毎月苦しみながら掛け金を総額300万円払い、350万円の死亡保険を遺族に残すのは論理的にはさほど費用対効果は高くなく、毎月のやりくりを苦しめたことを考えればむしろ非効率です。しかし、亡くなってしまったら350万は350万円という絶対的な価値となります。お金が残されたということが大切なのです。

 

保険は、不幸が起きた時に支払われる性格のものです。

金融商品として論理性で作られていながら、受け取る時は不幸で感情が揺さぶられる時です。

金融商品でありながら、投資信託のように論理的には向き合えないものなのです。

 

これが生命保険という金融商品の不思議なところで、肝の部分です。

 

生命保険を検討するときにはこの感情の部分をしっかりと想像してみることをお勧めします。論理性だけでも、感情だけでも、どちらかに偏ってしまうと生命保険の検討は失敗しがちです。

 

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